無題のドキュメント

ファッションに関するブログです

ゴーシャ・ラブチンスキーのインタビュー

ピッティ・ウォモにおけるゴーシャ・ラブチンスキーのインタビューの一部の日本語訳です。

ゴーシャのクリエーション、映画・写真などについて語っています。以下訳文です。

 

 

ピッティ・ウォモのファッションショーの後、ゴーシャは映画“The day of my death”を上映した。映画はロシアのアンダーグラウンドな女優、映画監督Renata Litvinovにより編集されており、イタリアの映画監督パゾリーニの生涯及び悲劇的な死のインスピレーションを受けている。

ラブチンスキーは、その映画のコマを収めた写真集を作った。

イベントの間に、彼は様々な媒体でのプロジェクトについてインタビューに答えた。

 

ーあなたは、自分自身をデザイナー、写真家のいずれだと思うか?どちらが先に来ているか?ー

私は、人々が名前をつけること、意に従わせようとすることが好きではない。

私は、ゴーシャでいることが好きだ。

今日はコレクションがやりたい。明日は本を作りたい。1ヵ月後は映画を撮りたい。

私はストーリーテラーなんだと思う。単にデザイナーではなく、デザイナー兼写真家でもない。

皆さんは様々なメディアからストーリーを知ることができる、そしてもしそれが面白ければ、それを知ることを求める。

今日、私は映画を人々に見せることが面白かった。だから映画を作った。

 

ーこれはあなたが製作した最初の映画か?ー

いいえ。しかし、このようなクオリティで、このような作品として、このようにRenata Litvinovaと協力して作った初めての映画だ。

 

ー初めて見たパゾリーニの作品は何か?ー

“奇跡の丘”だ。キリストについての情熱的な映画で、私の感情に訴えるものだった。

もちろん、その後パゾリーニの全ての作品を見た。

私は映画ファンであり、素晴らしい監督や象徴的な映画を知っている。

パゾリーニはいつも私のお気に入りの1人だった。私がやることと彼が扱っている事柄には共通点があり、私たちにはつがなりがあると感じる。それが今シーズンのインスピレーションとしてパゾリーニを選んだ理由だ。

 

ーあなたの服は他のブランドに比べて手頃だ。ファッションは幾らかかるべきかについて、あなたはどのような考えか?ー

私にとって、いつも手頃な価格で服を売ることが始まりだ。なぜなら、私は大金を使って偽物だが本物のようにみえるファッションを提供したくないから。

私はリアルな少年に着てほしい。私にインスピレーションを与えた人々がいる、私は彼らに着てほしい。

それは、以前にロシアで服を製造していた時から変わらない。そのためコムデギャルソンでの製造を開始したとき、最初の考えはシーズンごとに適度な値段を保つことだった。それが、このような種類の素材・テクノロジーを使う理由だ。私達は全てを同じレベルで現実的に保とうとしている。

 

ーしかし、ゴーシャのジャケットは多くの人々が買える値段を超えている。それはなぜか?ー

面白いことをやりたいからだ。時にはTシャツやスウェットシャツを超えたことをしたい。クールな素材を使ったクールなジャケットは高くなる。私はそういうジャケットを安価にしたくない、そしてあなたたちはそれを買う。私はそれを買うことを可能にしたい、しかしそれを買う人は本当にそれを欲する必要がある、特に若い子供たちに買ってほしい。彼らは何ヶ月も節約し、そして買うことができる。

 

ーあなたが子供だったとき、何を買うために節約したか?ー

それに答えるのは難しい。私は90年代のモスクワで育った。私はレザージャケットや厚底靴が欲しかったのを覚えている。もちろん、それはストリートウェアだが、私が10代の頃モスクワで見つけるのは難しかった。小さいお店で高い値段だった、そしてそれがどこで買えるかを見つける必要があり、その後それを買うために節約した。

 

ーあなたは32歳。しかし、あなたのモデルは10代の頃のあなたに似ている。あなたは自身の少年時代に対して郷愁的か?ー

私は、彼らと同じ16歳の少年だと思う。だから私が少年やキャラクターを選ぶとき、自分の肖像画を求めている。それはゴーシャのかけらであり、感情だ。

 

ーあなたは10代のころどのような子供だったか?ー

家で鉛筆や水彩などで静物画などを描いていた。

私は美術学校にいた。その時期、私は90年代のロシアのファッション雑誌に熱狂していた。

 

ー例えば?ー

ロシア版のThe Faceやi-D。私はページ上の誰かになりたかった。

しかし、私は自分がなりたいのが、バンドメンバーなのか、ファッションデザイナーなのか、役者なのかは解らなかった。

私は、それらの雑誌でRenata Litvinovを初めて見た。20年後、ピッティ・ウォモのためにこのプロジェクトをやり、彼女が私のために映画監督をするとはその時には想像できなかった。

 

ーそれでは、1990年代にはすでにRenataについて知っていたか?ー

もちろん。私が10代の頃、彼女はロシアで有名だった。

 

ー魅力的な容姿の映画内の女優は誰ですか?ー

Alexandra Cherkasoca。彼女はとても新しい。

 

ー最近、あなたが注目しているほかの女性は?ー

Lotta VolkovaやRenata、Alexandraのような女性。

彼女たちはゴーシャ風のルックをしており、それを映画内で見ることができる。

 

ー婦人服をデザインするのはいつか?ー

女性のために特別なコレクションはやらない。しかし女性たちは既にゴーシャの服を着ている。私はその方が好きだ。

 

ーではデザインするのはドレスか?ー

おそらくいつか、でもいつかは解らない。いつかゴーシャのスウェットがドレスになるかもしれない。

 

www.wmagazine.com



 

ヴェトモンがマルジェラから受けた5つの影響

ヴェトモンがマルジェラから受けた影響についての記事を見つけました。

何かの注目のヴェトモンですが、日本のファッション誌でこんな風に端的に書かれることって少なくないですか?原記事と合わせてご覧下さい。左がヴェトモン、右がマルジェラの写真とのことです。

 

1 再構築された衣服

・マルジェラの脱構築的な哲学を踏襲して、ヴェトモンの服はバラバラに切られた後につなぎ合わされる。

・Tシャツやジーンズをはじめとする全ての服は、生地が不揃いに切られて再構築され、野暮でサイズの合わないシルエットになっている。

 ・ヴェトモンの人気のフーディやクルーネック(スウェット)は、2つのネックラインを用いて上記と同様の方法で組立てられている。そのためこれらの服は、前からだけでなく後ろ前でも着用できる。

・ヴェトモンの2016SSコレクションのオーバーシャツでは、2つのシャツがつなぎ合わされている。

 

2 DHL社のロゴ

・ヴェトモンは、不真面目なマークを服につけることを好むが(例えば、警察や警備員の服のレタリングを使用している)、DHLのロゴがプリントされたTシャツは、ロゴを用いた商品の中でも最も注目された(ゴーシャ・ラブチンスキーの2016SSのファッションショーにおいて、ゴーシャ本人がこのTシャツを着用した)。

 ・過去にマルジェラは、細かく切ったDHLのロゴをプリントしたジャーマントレーナーをリリースしている。

・一方ヴェトモンは、非常に長いコットンTシャツにDHLのロゴを使用している。

 

3 オーバーサイズのサイズ感

・近年流行のオーバーサイズは、マルジェラの歴史においても見ることができる(とりわけマルジェラの2000AWコレクションにおいて)。マルジェラの大きくうねるズボン、圧倒するようなアウター、ダボダボのスカートは、大きくて目立つシルエットという新しい美を構築したが、それはヴェトモンの服にも強く反映されている。

・マルジェラの2000年のジャケットにおける彫刻的で膨らんだ袖は、ヴェトモンのトレンチコートやレザーバイカージャケットにおいて見ることができる。

 

4 パッチワークデニム

・マルジェラの1999SSでは、不ぞろいな生地を継ぎ合わせたパッチワークジーンズをリリースした。

・ヴェトモンのジーンズは、はさみでレギュラージーンズを切る金欠の人々からインスピレーションを受けた未処理の段状の裾のものだ。

・ヴェトモンの他のジーンズでは、ポケットがスライドダウンしたように見える、サイドシームでデコボコにつなぎ合わされたものがある。

 

5 服のボディを横切るロゴ

・このヴェトモンのTシャツは、“Deutschland”の文字がTシャツのボディ・長い袖にプリントされている(デナム・ヴェザリアが青春時代を過ごしたドイツに対するオマージュである)。

・類似のデザインは、マルジェラの1999SSのコレクションのスーツジャケットにおいて用いられている。

 

出典:

www.highsnobiety.com